メンバー紹介

夏目季代久教授 九州工業大学

一般社団法人行動評価システム研究所(BASラボ)理事の夏目季代久です。
脳情報工学を専門として、九州工業大学大学院生命体工学研究科で研究しています。
BASラボでは主に脳波測定/唾液中のストレスホルモン/心拍/脈波など生体信号の測定・解析を担当しています。

脳情報工学と脳波

脳情報工学とは、脳・記憶・思考の仕組みを調べ、私たちの生活に役立てるという視点で研究する学問です。工学の2文字がつくように脳の工学的応用を目的としており、九州工業大学が初めて専攻を開設した新しい研究領域です。

脳は数十億個以上の神経細胞(ニューロン、Neuron)が電気信号を出して他の神経細胞に情報伝達しています。生命維持はもちろん、この活動が運動・記憶学習・思考もコントロールしています。

これらのまとまった電気信号は様々な周波数の神経リズムを形成していて、その一部の周波数はヒトの【脳波】として測定・記録が出来ます。私は主に、この【脳波】の測定・分析をおこなってヒトの記憶学習やBMI(後述)の研究しています。なお、脳内の神経リズムは脳波以外にもっと長い周期のものもあり、近年広く知られるようになったサーカディアンリズム(一日の体内時計)もその一つです。

ここでは広く脳情報工学を知っていただくために、具体的な事例などお示ししながらお話ししたいと思います。

車酔いを予防する・車イスを動かす

脳の仕組みを調べて工学的な応用する、分かりやすい構想の一例として自動運転における“車酔い”対策があります。クルマの完全自動運転化が近い将来実現しますが、そのとき乗っている人に“車酔い”の発生が考えられます。

車酔いが起こるかどうかは人それぞれで、「車酔いしやすい」苦手な運転スタイル(運転の癖)があります。運転スタイルAはブレーキを小刻みに踏む、運転スタイルBはカーブを強く減速しながら曲がる、など運転の癖が、乗っている人にとって苦手なものの場合、“車酔い”が生じると考えています。

私たちは、乗っている人の脳波から車酔いする「予兆」を自動的に検出して、その人の苦手な運転スタイルを避け、好みの運転スタイルに切り替え、予防できるシステムを開発しています。

分かりやすい例としてもう一つ、電動車イスをレバーなど動かすことなく「考えただけ」で進みたい方向に操作する、といったことも挙げられます。脳波で車イスを操作する、ということですね。

ブレインマシンインターフェースと脳波

このように脳と機械(ロボット・クルマ・コンピュータなど)を何らかの形で接続する方式のことをブレインマシンインターフェース(Brain-machine Interface: BMI)と呼び、世界中で研究が進んでいます。 
※接続先がコンピュータの場合ブレインコンピュータインターフェース(Brain-computer Interface : BCI)とも言います。

どうやって脳と接続するか、最も研究されている手段が脳波です。脳活動を測定する方法は脳波以外にもいくつかありますが、脳波は生体信号として簡便に測定しやすくリアルタイム性(低遅延)にも優れている事から、人間と機械とのインターフェースに向いていると考えられます。そのため脳波を用いた人と機械とのインターフェースがBMIとして期待されています。

脳波によって文字入力する、人工義手を動かす、住宅内の照明やカーテンを操作するetc…なかには既に一部実用化に至っているものもあり、世界的に大きく注目されている研究開発分野です。

私の研究室に入学する学生のなかには、攻殻機動隊などBMIの発展を予見したアニメに刺激を受けこの道を選んだという人も少なくありません。

学習状況を脳波で把握する

脳波と記憶学習についても調べています。ヒトの脳波は、周波数によってデルタ波/シータ波/アルファ波/ベータ波/ガンマ波に区別出来ます。リラックスしているときのアルファ波が特に有名ですが、脳波や神経リズムはヒトの状態によって変化します。

私たちはラット(ネズミの一種)をつかった動物の海馬研究もおこなっています。ラットは夜行性なので昼は主に寝ていて周波数の低いデルタ波が盛んで、活発に活動する夜にはベータ波、シータ波など周波数の高い脳波が起こります。
※海馬=脳の記憶や空間をする時に働く脳の器官

私たちのラット海馬研究では、シータ波が盛んだとシナプスが増強されることがわかりました。分かりやすくお伝えすると、シータ波が盛んだと、「記憶しやすい」こと、脳波と「記憶のしやすさ」の関係がわかったのです。(※シナプスは神経と神経のつながりのことです。シナプスが増強されると、神経から神経へ信号がつたわりやすくなります)

ラットでの動物の結果が人間でも起こるかどうか、人の英語教材による研究を行いました。日本人学生にとって英語学習が困難な理由の一つに日本語リズムと英語リズムの違いがあります。

共同研究者の中野秀子先生(元九州女子大学)は、英語リズムを学習出来るbeat 音の付いた英語リズム教材(RIM)を日本人学生に聞かせたところ、学生の英語発話リズムが英語母語話者に近くなることを明らかにしました。その時の学生の脳波を測ったところ、学習の進行度に従って前頭部シータ波のパワー値が増加しました。

これは、脳波と記憶学習のしやすさが強い関係をもっている事を示していて、学生の学習状況を脳波によって把握できる可能性を示唆しています。また、同じ学習を繰り返していると「飽き」てくると思いますが、その時脳波も変化しました。飽きているな、という状況も脳波でもわかります。その点も面白い点です。

脳波とは個性そのもの?

わたし自身はもともと東京大学で薬学を学び、粘菌を使ったカビ研究をしていました。カビにもカルシウムイオンの濃度によるリズムがあります。これはカビの動きに関連していて実はカビにもある好き嫌いの情報処理にも関係する事が分かっています。

人間の積極性はどこから来るのか…子どもは力いっぱい動きまくって活動しますが、大人になるにつれて動かなくなりますよね。これは、高次の脳が発達した結果「動かない」という選択をあえてしているのではないか。カビでさえ、積極的に動いているのに…そんな疑問から脳研究に進みました。

人の個性とは、脳の違いそのものかもしれません。同じ音楽を聴いても同じような脳波の反応があるとは限りません。心地よいと感じる人もいれば全く反対の反応がある人もいるでしょう。より多くの人々の脳波を測定して個性とは何なのかを調べる…今後やるべきことはいくらでもありますね。ICTを利用した脳波測定システムなどもその一つです。

実際に脳についてこういう事を調べて欲しい、という企業からのご相談も増えています。

BASラボで脳波研究をフィールドに

脳波研究は歴史的にてんかんなどを対象とした医学的な研究が大きなウェイトを占めていました。また基礎研究的な要素も強かった領域でもあります。私たちは脳の工学的応用を考える脳情報工学の立場として、研究室を出て様々なフィールドの人々にアクセスする活動を目指しています。

たとえば、現役アスリートの脳波を調べて、ビギナーとエクスパートとの違いを解明し、より効率的で個人個人にカスタマイズされたトレーニング方法に反映できないか。疲れやメンタリティを脳波から検出してアスリートにフィードバックできる簡易デバイスが作れないか。実践的なアプローチで社会のお役に立てる活動がしたいと考えています。

BASラボにはスポーツ心理学の磯貝浩久教授をはじめ異なる領域の研究者が参画しており、企業やアスリートなどとの交流も盛んです。多面的な研究や調査が可能となっています。こうした異領域の研究者と積極的にタッグを組んでいく風土は九州工業大学で培われたものと感じます。

研究に対して皆さんがピュアで真摯、自分の領域と他の領域とをつなげていく事をしようとする、この雰囲気が好きですね。BASラボを通じてより社会に還元できたらと思っています。